2012年2月20日月曜日

ゴルフ界の偉人 世界一のボールストライカー Moe Norman モー・ノーマン



略歴

カナダのプロ・ゴルファー。1929年生まれ。出身地 : オンタリオ州のキッチュナー。
2004年12月 入院先の病院で心臓病のため没。(享年 75歳)
成績
1955年 (26歳) 全カナダ・アマチュア選手権優勝。全米マスターズの招待選手となる。
1956年 (27歳) 同上選手権優勝。
この間省略
1964年 (35歳) プロに転向。
プロ転向後も優勝多数。
ホール・イン・ワン : 17 回 (うち直接カップ・イン 8 回)
コース・レコード : 40 コース以上。スコア 59 が 3 回。 3回目の 59 は 62 歳の時。 61 が 4 回。
60年間ストレート・ボールを打ち続けた男。
ベン・ホーガン や サム・スニードを驚嘆させた男。パイプラインのようなストレート・ボール。
人は彼をパイプライン・モーと呼んだ。



世界一のボールストライカー モー・ノーマン

1969年にカナダのトロント郊外で行われたエキジビションで、モー・ノーマンはサム・スニードと共にラウンドした。240ヤード先に川が横切っているパー4のホールで、サム・スニードは川の前で刻んだのに対して、モー・ノーマンはドライバーを握って打とうとしていた。サム・スニードがここは刻みのホールだとモー・ノーマンに言うと、彼は川の真ん中にある橋を狙っていると言ってティーショットを打った。ドライバーから放たれたボールは、狙い通りに橋を渡って向こう岸に転がって行った。
あるエキジビションでは、7時間に渡り1540球のドライバーを打ち続け、一番飛ばなかったボールは225ヤードで、全てのボールが30ヤードの幅におさまっていた。
またあるエキジビションでは、ティーアップされたボールだけをクリーンヒットし、1本のティーを動かすことなくそのまま使ってドライバーショットを131回続けた。

プロ時代の逸話

モーがある練習ラウンドで サム スニード と回った時、パー5 のティーグラウンドでの会話。
サム 「おい君、あそこのクリークは越えられないだろう。私は手前に刻むよ。」 
サムのボールはクリーク手前に見事に止まった。
「いや、僕はあの橋を渡って行きます。」
モーの打った球は、橋の手前に落下し、橋の上をコロコロと転がり、対岸のフェアーウェイに達した。
あるトーナメントでのティーグラウンドで、モーはギャラリーの中の記者が仲間に話しているのが聞えた。
「モーはパットが下手だからな。きっと今度もスリーパットするぞ。」
モーは黙ってバッグから3番アイアンを抜き出すと、パシッと打った。
「このホールはパターは要らないよ」 ボールが未だ空中を上がっていく時にモーは叫んだ。
モーが言い終わると、ボールはピンの中に吸い込まれた。
試合前の練習場で、モーは有名な ベン ホーガン が居るのに気がついた。日頃、彼が「ストレートボールなんてまぐれでしか打てるものではない。」 と言っているのは知っていたモーは、友人に頼んで ベン ホーガン を呼んで来てもらった。
ベン ホーガンが現れると、モーは一発パシッと打った。球は弾丸のように真っ直ぐに飛んでいった。
「あっ! まぐれだ!」 モーはわざと大声を上げた。
2球目も真っ直ぐだった。 「あっ! また、まぐれだ!」 モーは大声を上げた。
3球、4球、5球目も同じだった。モーは「まぐれ」、「まぐれ」と大声を上げ続けた。
「おい、君! そのまぐれをずっと続け給え」 ベン ホーガンはそう言って、その場を去った。
あるラウンドの最終ホールで、同伴競技者二人の会話が聞えた。
「バンカープレイが上手いのは誰それと○○○、それに△△△だろうな。」 その中にはモーの名前は出てこなかった。
第2打をピン側 1メートルに付けたモーは、そのボールをわざとバンカーに入れた。バンカーから、また同じ位置にピタリと付けたモーは、「どうだ!バンカーショットが一番上手いのは僕だろう?」 と言うと、そのボールを 1パットで沈め、優勝した。
モーはプレーする時、いつも観客を楽しませようとした。
ある試合で、コースレコードを達成するには最後のホールをパーで上がることが必要だった。彼はそのコースが初めてだった。そこで、一緒に居たそのコースのプロに、何番と何番のクラブを使うのがよいかと尋ねた。そのプロは、通常はドライバーの後、第二打は 9番アイアンでしょうと答えた。
そこでモーはティーショットに 9番アイアンを使い、第二打にドライバーを使ってピン側 3.3メートルに付け、それをワンパットで沈めバーディーで収めた。


1971年以来OB無し

リー・トレビノは、ベン・ホーガンやバイロン・ネルソンを含めても、世界一のボールストライカーは、モー・ノーマンであると断言する。
ケン・ベンチュリーは、彼をパイプラインモーと呼んだ。
1949年オンタリオで行われたアマチュアの1日トーナメントに出場した。彼に出場権利はなかったが、当日欠員のためプレーをすることができた。当日は、スニーカーでぼろぼろのゴルフバックに7本のゴルフクラブで参戦し、67のスコアーで優勝した。しかし晴れがましい優勝パーティーに出席することを嫌い、そのままその場を去った。
1966年カナダのトーナメントで12戦中5勝、2位が5回、最低でも5位であった。
1979年に50才になり、7年連続カナダプロシニアに優勝する。8年目は5位に甘んじたが、9年目に8打差をつけて再度優勝する。
40を越えるコースレコードの中で59が3回、61が4回。しかも62才の時に59の世界最年少のエッジシュウトを達成する。
今年カナダゴルフ協会のゴルフ殿堂入りを、ジャック・ニクラウスと共にしている。
少年時代は自閉症で見知らぬ人と接するのが苦手で、視線を合わせることもできない。ゴルフ以外は、興味なし。現在も一月400ドルのモーテルに住み、電話もない。映画の「レインマン」の主人公そのものである。しかし記憶力がすごく良く、ラウンドした全てのゴルフコース、ゴルフショットを覚えている。
1995年のPGAショウにて、タイトリスト&フィットジョイのユーライン会長より、一生涯にわたり毎月5000ドルをモー・ノーマンに進呈する旨の契約を行われる。ボビー・ジョーンズやベン・ホーガン同様に、モー・ノーマンの今までの偉業に対する感謝と尊敬のしるしであるとのこと。またモー・ノーマンのスイングをビデオに納め、今後のゴルフ界に受け継がれるべく努力をする。
1955、56年カナディアンアマチュアを連覇して、マスターズ出場の招待を受けた。
初日は75とアマチュアとしてはまずまず。競技終了後に、練習場にて憧れのサム・スニードからアドバイスを受けたモーは、まるで子供のように嬉しくなり、その後4時間以上もとりつかれたようにボールを打ち続け、気が付くといつしか手は血にまみれ、クラブを握ることができないほどになってしまった。それが原因で、翌日は9ホールをプレーしただけで棄権しなければならなかった。


トム・ワトソン 「だれがいちばんいいボールを打てるか。カナダのモー・ノーマンだ。」
リー・トレビノ 「世界で最も正確なゴルファー。彼こそ生きる伝説。」
ケン・ベンチュリー 「彼のボールはまさにパイプラインの中を抜けていくように正確。」
ゲーリー・プレイヤー 「不動のスイング」
サム・スニード 「完璧な手の使い方」


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